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園長のひとりごとMonologue

~であい・ふれあい・ゆたかな体験~

藤岡幼稚園では、子どもたちが藤岡の自然や街や人々、そして友だちや異年齢の仲間と出会い、そこでじっくりとふれあうことにより体験がより豊かなものになるよう、一日一日を大切に過ごしています。 そんな中、どうしても子どもたちにしてほしいことがあります。それは、”夢中になって遊び、大好きな友だちをみつけ、いろいろなことができる喜びを味わう”ことです。この体験は、人間としての”根っこ”が育つための大事な「学び」です。 日々、夢中になって遊んでいる子どもたちは、自分では「学んでいる」という意識はありませんが、確実に多くのことを学んでいます。遊びの中の学びには、いろいろなものが含まれています。国語・算数・理科などというような教科には分けることはできません。またこの学びは、すぐに目に見えて「何をどう学んだか」はっきりとした形で表れるとは限りませんが、子どもたちの心と体の中に少しずつたしかに蓄えられています。私たち保育者は、子どもたちの人生の土台となる根っこをしっかりと育てるために、豊かな体験ができるよう子どもたちと共に環境を創造するよう努めています。 「幼児にとっての学びとは遊びである」豊かな遊びのある子どもらしい生活の中で、生涯にわたる人格形成の基礎が培われています。 幼稚園は、子どもたちが初めて出会う「学校」です。小学校に入学してから困らないようにという考え方ではなく、その先にある、一生学び続けながら生きていくことを見据えた教育の場なのです。幼児期の”であい・ふれあい・ゆたかな体験”が、子どもたちの未来への可能性を無限に広げていくと信じています。 子どもたちの幸せを願って・・・。

乳幼児にとっての発達課題について、ちょっと考えてみたいと思います・・・

人々は「早く始めると早く到達する」とか、「後で困らないように早くから教える」といって、早期教育(文字や数の指導・英語・習い事など)に力を注ぎます。一応学習効果はすぐに手にとるように見えるのでわかり易さがあります。しかし、学ぶ必然性もなく、興味もなく、学びについて感動もない子供たちに対して、機械的に一つの正解を求めて詰め込んだとしても「学力」がついたとは言えません。幼児にとっての一番の知力は、「想像すること」「感じること」「好奇心をもつこと」「工夫する力」「創造性」「集中力」などです。それらは、今この幼児期でなければ身に付かず、あとでは取り返せない力なのです。この「知力」が小学生・中学生・高校生から社会人となるまでの「生きる力の基礎」になるのです。今日、三無主義といわれるように、物事に対して関心がなく、意欲がなく、感動もしない子が、そのまま大人になっては元も子もありません。本園では、遊びやお友達との関わり、地域の人々との関わりを通して幼児期でなければできない貴重な体験学習をしています。この「豊かな体験を育む」ことが、今後の人格形成の基礎となるのです。子供たちの成長と共に、お父さん・お母さん・先生も一緒に成長して「ほんとうの子育ての楽しさ」を実感できるのではないでしょうか・・そのためにも「真の子育て支援」をしたいと考えます。

~子どもの最善の利益を考えたとき~

子どもたちとの対応に迷ったとき、保育に悩んだとき、「子どもにとって(どうなのか)、子どものために(どうしたらよいか)」、 そんな見方を是非実践してほしいと、我が心の師、柴崎正行先生はおっしゃっていました。 「子どもの最善の利益を考慮するとはどういうことなのでしょうか。それを考える段階として、まず子どもの最善の利益を考慮しない、言い換えれば、子どもにとってもっともよいことを考えていない場合を考えてみましょう。子どもにとってもっともよいことを考えていないという場合、誰にとってよいことを考えているのでしょうか。子ども以外の人、つまり大人にとってよいことになります。大人にとってよいことを優先している場合、それは子どもの最善の利益を考慮していないことになります。」(わかば社・編著=柴崎正行「保育原理の基礎と演習」より引用) 「子どもにとって・・・、子どものために・・・」「子どものせいにしてはいけない」という、いつも口癖のようにおっしゃっていたこの言葉は、まさに子どもの最善の利益を考慮するということなのです。「今、その子にとってもっともよいことは、どうすることかを考えてかかわることが、子どもの最善の利益を考えるということです。」 認定こども園となった我が園でも、子どもの最善の利益を考慮した幼児教育をこれからも丁寧に・・・。